猥褻と法律
第一号(売品)
大正四年十一月発行 洋紙印刷四六判半截形
これは予が大阪から十年ぶりに東京へ帰つて来た大正四年の末、中村某といふ者がやって来て、何か奇拔な雑誌を編輯して下さい、ワタシが発行しますと云ふ、金があるのかと訊けば、今は持って居ませんが、近々一万円程の出金者があるとの答、然らば編輯してやらうと、「袋雑誌」と名づけ、其袋の中へ異種異形の小さな新刊雑誌十二種(日本名物画報、俚諺研究、漢法医学雑誌、男性女性、裏面雑誌、穢多、犬猫新聞、廃物利用雑誌、ヨタ、我儘随筆、竹枝)の第一号と記したものを入れたが、其一種に此「猥褻と法律」を加へたのである、十二種入りの一袋がタツタ十銭であったから、片々たるものばかり、これも最少形の十六頁物で、其内容は
緒言、法文上の猥褻罪、悪戯の少女傷害、強姦の形容描写判決文、春画の歴史的研究、猥褻行為の凌虐罪、汽車中の醜行、ト一ハ一の説明記事
といふので、刑事制裁、行政処分等の事実を略記して、短評を加へたものである
此「袋雑誌」は破天荒の奇抜であり、久々ぶりの御帰京であるから、売れるに違ひないとて、中村某は一万部印刷して東京の四新聞紙上に二百五十円の広告料を出す事にして居た、其広告が二新聞に出ると、あの中村は金のない貧乏人である、広告を出しても広告料は取れないぞと忠告した者があつたので、あとの二新聞には載らなかつたが、既に載った二新聞の広告で、一万部の内七千部売れ、三千部が残本になつた、其の残本を某がゾツキ屋へ売つたので、一時東京市内の大道に「宮武外骨先生編輯、奇想天来の袋雑誌」と大書した旗を立て演説口調で売つて居るのを見た
先月中旬、小石川掃除町の水谷書店の若主人が、予に対して云ふには「先生が御編輯になつた袋雑誌といふのを先日買入れました、実に天下無類の珍雑誌ですネー、定価十銭ですけれど、五円以下では売らないツモリです」
さて話はモトへ帰って、中村某は予定の一万円どころか、千円の入金もなく、その上借金が多かつたので、債権者に右の「袋雑誌」七千部の代金も差押へられる始末で、第二号を発行するに至らず「猥褻と法律」も初号限りで廃刊したのである(其後中村某は房州へ逃げたまゝ袋雑誌の前金残りを返さないから、予は百七十円ほどの弁償をした)