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緒言

予は猥褻研究学者なり、こゝに「猥褻と科学」を著はす、其信念其抱負の一端を叙述して、予を誤解し、予を侮蔑する者のために、其蒙を啓かざるべからす

山鹿素行の「中朝事実」に「陰陽和合シテ万物生育ス、人倫ノ大綱ハ端ヲ夫婦二発セリ」といへるは、「愛の源は性欲にあり」と云ふに同じからすや、近世の学者が唱へし恋愛神聖論は、●就仰高の秘事を天の美禄なりと称とし古学者の言に符合せすや、「家庭を造る」といへる語は美とするも、其実は生殖を目的とするにあり

「猥褻」とは客観的の語にして、風俗を壊乱する事、或は物を云へり、然れども、事物それは猥褻にあらずして神秘に属す、此神秘詮索の俗称を猥褻研究と号す、世に猥褻研究を卑陋なりとして排斥蔑如する者あり、予はこれに対し、弁明的、反抗的、啓蒙的に本書を著はして、世人がマジメと認むる諸科学にも猥褻関係の事実多きを示さんとするにあり

本書の題号に猥褻の語を冠すること、猥褻の意義を表するものとして難ずる者あらんか、然り猥褻なり、本書は公刊物なるが故に猥褻といへる客観語を仮用せるのみ、本質は猥褻に非ずして神秘に属する所説の列挙たり、若し此猥褻の語を冠するは不可なりとせんか、日本の現行刑法にある猥褻罪の語をも改削せざる可らす、然れども猥褻罪と云ふも神秘暴露罪と云ふも其意義は同一たり、伊太利の学者某云へるが如く「形式は内容なり」、猥褻とは性交、生殖、生殖器等を直感するが故に、猥褻の意義を有する猥褻の語に相違なし、然れども翻って考へ見よ、「結婚」といへる語に猥褻の意義なしとするか、「夫婦」といへる語に猥褻の意義なしとするか、「結婚」より性交を除去し得べきや、「夫婦」より生殖を除去し得べきや、形式は異れども、神秘といふも、猥褻といふも、結婚といふも、夫婦といふも其内容は皆同一にあらずや

言語に囚はれ、形式に囚はれ、虚偽に囚はるゝ愚蒙を啓発せんとするが本書の目的なり

予は自ら猥褻研究学者なりと叫んで、何の恥づる所もなきなり

性欲学は猥褻学にあらずや、生理解剖書は猥褻書にあらずや、是等を世人が猥褻と見ざるは、もと学説なる故がに猥褻ならずとせば、本書は堂々たる学説なり

これを「非猥褻と科学』と称し、予を非猥褻研究学者と称するも亦可なるべし