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法律

学問を大概して哲学、科学の二類に分つといへども、哲学は諸科学の原則を説き根底を示す学問なるが故、心理学は科学に属すれども、心理の原則を説くは心理哲学なり、法律学亦然り、人生哲学の一とする法律哲学には一般的の総論として法理学あり立法学あり、特殊的の各論としては、私法哲学あり刑法哲学あり国法哲学あり、法律科学にては法律史学と実定法学との二に分ち、法律沿革の法制史と法学沿革の法律学史を法律史学といひ、実定法学とは一般的 の法学通論と特殊的の民法学、刑法学、憲法学、商法学、比較法学、国際法学其外をいふなるが、法律哲学は心理哲学、生物哲学、生理哲学をも包含して組織せるものなるが故、猥褻に関係する事なきにあらねども、形而上の学説につきて云為するは本書の目的にあらず、要は「猥褻と科学」との関係、卑近なる実例を示すにあれば、「法律」といふは法律科学に就て説くにあり

爾余の諸学も亦これに凖ずと知るべし

法律とは国家の主要機関たる政府が制定せし国民統治の綱条をいひ、これを換言すれば、自然的法則の外に設けし国民に示すべき人為的規範法則のいひなるが

「国家の法律及び制度の源は所有と結婚にあり」

といへるが如く、性的統治を根本とし、個人の放縦を抑へ乱淫を戒じる刑罰制裁には、最も猥褻関係の事実多し

先で其条文を挙げん、現行「刑法」第二編第二十二章に曰く

猥褻、姦淫及ヒ重婚ノ罪

第百七十四条 公然猥褻ノ行為ヲ為シタル者ハ科料ニ処ス

第百七十五条 猥褻ノ文書、図書其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之陳列シタル者ハ五百円以下、罰金又ハ科料ニ処ス販売ノ目的ヲ以テ之ヲ所持シタル者亦同シ

第百七十七条 十三歳以上ノ男女ニ対シ暴行又ハ脅迫ヲ以テ猥褻ノ行為ヲ為シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス、十三歳ニ満タサル男女ニ対シ猥褻ノ行為ヲ為シタル者亦同シ

(本条以下、強姦、有夫姦、重婚等の条文は略す)

比「刑法」の外、特別法たる出版法、新聞紙法にては、風俗を壊乱する文書図画を掲載せし場合の罰則を設け、郵便法にては、郵送禁制品中に猥褻物を包含せしめ、鉄道及び船舶の取締規則中にては、猥褻行為を禁じ、此外、娼妓検黴法、密淫売婦罰則等、猥褻に関する法規多し

此等の条文は勿論、他の罪名にて処罰されたる猥褻事実少しとせず、今茲に其異例の一斑を略記せん

△医師某が夫ある婦人患者に治療上麻睡剤を服せしめ、其昏睡中陰部を検するに際し、春情起りて其婦を犯せし事件あり、医師某は、刑法の姦通罪に擬して処罰されたり、婦は昏睡中にて諾否不明なるが故、姦通罪を構成せず、又犯者は其ため強姦罪にも擬せられざりしなり(本件は旧刑法時代の大審院判決例なり)

△高知師範学校教師某が下女の寝相の惑しきを戒んとして陰部に墨を塗り、其後又寝相の悪しきを見、剃刀にて陰毛を剃落せし事件あり、某は刑法の傷害罪として罰金二十円に処せられたり

△東京の二六新報、神戸在留の外国人某が狐のお豊といへる白痴の婦人に金銭を与へて、自家の愛犬と交接せしめたりとの事を掲出せしがため、風俗を乱す記事なりとて、検事に起訴され、初審には禁錮罰金の刑を言渡されしが、二審の結果は無罪、の判決を与へらる

△広島警察署の司法部主任警部某は、詐欺取財犯の婦人を脅迫して犯し、其報酬として同女を釈放したりとの事件あり、某は収賄罪として処罰されたり

△京都の掏盜某、途上婦人の陰部に手を触れ、その愕きて伏するに乗じ、髮飾品又は携帯品を奪取する事を常習とせしが、捕へられて屋外窃盗罪の刑に処せらる

△宮城県の牧業者某は、他人の牧馬たる牡と自家の牝馬とを窃に交尾せしめしがため、交尾料を支払はざるは、男の精液窃盜罪なりとて告訴されたり

△近く東京の某、婦人の淫相を描きたる絵葉書数枚を製し其包装紙に美人眠り姿と題して公然販売せしが、警視庁にては風俗壊乱物として検挙せり

△紀州の南方熊楠先生が、徃年田辺区裁判所判事の審問を受くる際、男陰の俗称たるペぺpケ語を連発せしがため、一日の拘留に処せられたる事あり、不当の言語を発し、其制上に応ぜざる者として、法廷警察権を有する判事が裁判所構成法第百九条に拠りて処分せしなりと聞けり

以上の如き刑事問題は、予の収容する材料のみにても尚百数十件あり

民事問題にも亦類例多し、その二三を挙げん

△神奈川県の婦人某は、本夫の一時的陰萎症を離婚請求の要点とし、「天与の快楽を得る能はざる不幸者」として出訴せしが、審判の結果は婦人某の敗訴に帰せり

△某生命保険会社が、婦人某が保険契約後間もなく子宮病にて死去せしは、契約当時其疾病を隠蔽せし詐欺行為なりとて、遺族の保険金請求に応ぜざりしに対し、遺族は民事訴訟を起し、子宮病の有無は最初身体検査の際に判明せしはずなりと申立てしが、婦人の羞恥部を検査せざる慣例ある に因り、原告の請求理由は探用せずと判決されたり

△大正十二年五月十五日発行の「読売新聞」に曰く

「有るべき処に毛の無いのはイヤだとて、打角貰つた細君を対手取つて離婚の訴へを起したい珍事什があつた、女は昨日其公判廷で、ソンナ事はないと反駁した、有るの 無いの水掛論では埓が明かぬので、それなら実際を調べて貰ひたいと女が言出したので、裁判官はフフンー」

斯かる実例も亦少しとせず

以上は法律学といへる新科学の舶来せし以来、日進月歩の長足にて進歩せる法律学者のたづさはりし明治末期より大正初期までの実例なるが、明治以前の法規判例にも亦類同刀事実無算無数なり(予は他日その材料を組織的に歴叙して「猥褻法制史」を編纂せんとす

古くは奈良朝以前に於ける唐律模倣の婚律、獣姦罪等より 「道路ニ姦スル者ハ禁錮若クハ片鬢ヲ剃ル」といへる鎌倉時代の新律、穢多の娘は遊女たるを得ざる徳川時代の制度或は女囚を死刑前に奸淫せし事件、近くは明治初年の卑猥を禁ずる違式例、各地生殖器神の破棄等、枚挙に遑なし

泰西文明諸国に我国以上の事例多きは云ふ迄もなく、法制史学に於て近年発見せし資料に拠ればふ(中田薫先生談) 世界最古の法典(三千百年前)バビロンの法律にも、婚姻法あり、姦通処罰法あり、「人の妻たる者が他人と姦通したりとの風説生ぜし際、其無罪を証するためには身を聖河に投じて河の裁判を受くべしとの規定を設け、又女が男の睾丸を握り潰せば、一丸なる時は其女の一眼、雙丸なる時は二眼を抉り去るの法」なりしといへり

英国にては先年「花柳病患者にして他人と肉交せし者は懲役二年に処す」の法案を作り、米国費府にては、公衆の面前に於て愛情を表示するは、風俗上好からずとして、片手にて婦人を抱はば罰金五弗、雙手は十弗、頓にキツスは二十五弗、口と口との接吻は五十弗、抱擁と接吻を兼ねる時は七十五弗の罰金に処すとの法を制定せりしといふ

生殖のために生活する我々人類、性的犯罪と性的紛訌の多きは無理ならず、随つて刑罪法定主義の国家が性的条文を設けて国家を統治せざる可らざるは当然なり