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歴史

神話は事実非事実を超越したる批評外のことに属せり、然れども神話は歴史の前提と見て、之を尊重せざるべからず

その歴史の前提如何

「古事記」には「故以此吾身出成余出処、剌塞汝身出不成合処、而為生国土奈何」とあり、「日本紀」には「陽神先唱曰美哉善少女、遂将合交、而不知其術、時有鷭鴒飛来搖其首尾、二神見而学之、即得交道」とあり

又「古語拾遺」には「宜以牛完置溝口、作男茎形以加之」とあり、女神たる御歳神が怒らせられて、田に稲蟲を放たれしに当惑し、「をはせがた」の土器を造りて、其畔に並置し以て女神の御怒を解くとの事なり

前提の神話既に斯くの如し、怪む勿れ後の歴史、此範を脱せずして露骨に記述せることを、「古事談」に曰く

「○○○○道鏡之*猶不足数思食、以暮蕷作*形、令用之、給之間折籠……仍◯塞及大事之時、小手尼(百済之医師其手如嬰児)奉見云、帝病可癒、手塗油欲取之、愛右中弁百川霊狐也云、抜剣切尼肩……仍無療帝崩」

此一大事を挙ぐ、爾余は云ふに足らざるべし