和文
近世「国文学」と称する和学にも亦此事多し、韻文たる和歌に関する「万葉集」以下の歌書は別として、先づ「古事記」にある例の「みとまくはひ」を始めとして、平安朝、鎌倉時代室町時代等の物語にもあり、其文は艶麗又は優雅なりとするも、其事実を俗語にて露骨に解釈し難きもの少からず、又くぼ、しゝ、けふくなう、したゝか物、馬たはけ、牛たはけ、皮つるみ等数十の淫語も骨此古典に存せり
和学の大家として著名なる山岡明阿弥に「逸著聞集」、澤田名垂に「あなをかし」、黒澤翁満に「藐姑射秘言(はこやのひめごと)」の著あり、之を和文の三大淫書と号せり、石川雅望の著「都のてふり」は淫書にあらざれども、両国四ッ目屋の条、長命丸、帆柱丸の一節を「女子高等国語読本」に抜載されて物議を生じたる程の事ありたるものなり
左の一文は予が明治三十八年の旧著に記せるものたり
「碩儒熊沢蕃山が、我邦の「古事記」を小説寓言の類に過ぎずと諭ぜしに対し、和学の大家本居宜長がこれを反撃したる嘲罵の文数章載て「玉勝間」にあり、その一節に可笑き比喩を引けり
今人といふ物を一人、作りいでんとせむに、いかに賢くさとり深く、たくみなる人の、いかに心をくだきて、例の陰陽和合のことわりをきはめ、こゝらの年月をいたづきて、作りなさひとすとも、かく活はたらく真の人をば作り得ることあたはじを、たゞかの男女の閨(ねや)の内のみそかわざによりては、心をもいれず、小刀の一つだにりかはず、何の労もなくて、成出(なりいづ)るぞかし、さるはその閨の内のしわざよ、何の賢くうるはしく、理ふかげなることかはある、そのありさまは、ほにいだしてまねべくもあらず、いともいともひとわろくめゝしく、童の戯にも劣りて、はかなく愚なるしわざなれども、これによりてこそ人のたくみにてはえ作らぬ、まことの人の、さばかりたやすく成出るなれ、神の仰しわざは、世にはかりがたく怪く妙なるものならずや云々
こは茲に奇論として示すにはあらず、知るべし、真面目なる学者も事に激したる際には、平常にも似ぬ卑近の言をなすものなる事を」
以上の外、「宇治拾遺物語」には狂惑法師の偽訴猥談あり「古今著聞集」には「上手共のかきて候おそくづの絵なんど御覧も候へ」その外猥談少しとせず