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文字

泰西のアルハベツトは、無意義の記号に過ぎざるものなれば、これに卑猥の含まるゝ事はなからん(Hは男女の接近に基く字なりなど云ふこりあるや否やは知らず)

古来日本に行はるゝ漢字の起原は象形なるが故に、且也は男女の象形文字なりと云へる奇事あり、予は大正五年六月発行の「猥褻研究会雑誌」第一号に左の如く記せり

「男女の差別は且也の凸凹なり」とは古学者のいふ所なるが、こは顧乗謙の撰著に拠りしならん

(原漢文)「古者の字を製することや、天の日月、人の目自、地の山川の如く、従来体を為す者、多くは形に象りて字を作る、而して男女の二物は乃ち陰陽の根元何すれぞ象形あらざらんや、唯女陰「也」の字たること説文に見ゆるのみ、男陰の象形未だ字書に見ず、許氏劉氏、梅氏の輩、之を洩すは何ぞや、今「且」の字を出して男陰の正字と為す、其象形見るべし(三才図会)。

と記し、其象形としては、上代の古篆文字を示せり、即ち「也」は女陰の形に似、「且」は男陰の形に似たり、「也」は早く説文に出でしためか、平賀源内は其著「痿陰隠逸伝」に「也の広きに入て迷はず」など記せりといへども、「且」字を使用せし者は未だ見ず、其負誇するが如く顧氏の創めて発見せしものなるべし、次に類字若干を挙て考合に備ふとて、女陰たる「也」の土に従ふ地、水に従ふ池蟲に従ふ蛇(虫偏に也)等を挙て、其皆陰性たるを証し、男陰の「且」に就ても祖、岨、粗、等を挙て、皆其陽性たるを証せり顧氏の忠実篤学想ふべし

尚考ふるに、「祖」の示は祭器の台なり、因て「祖」の字は男性の生殖器を神として祭るに起りしものと見るべく、「蛆」の字は其蟲の形が萎縮したる男陰に似たるに由るものと見るべし、「池」は水のくぼ、「蛇(虫偏に也)」は陰を好む女性的の蟲とすれば、類字を作りし因縁をも察するに足らんか

又予は大正三年七月発行の興味雑誌「奇」第三号に「両性の別称」と題して左の如く掲出せり

人類では男女と云ひ、鳥類では雌雄と一云ひ、獣類では牝牡と云ふ、此外に両性の別称は無い、そこで男綢女綢と云ひ、雌蟲雄蟲と云ひ、男竹女竹と云ひ、花の峰蕊雄蕊と云ふなど、魚類、蟲類、植物等の両性を区別するに他動物の熟語を仮用して居る

何で支那の造字家が特別の文字を拵へなかつたと云ふと これは動植物の研究が未だ開けない時代で、草木は勿論魚類や蟲類にヲスメスがあるとは思はなかつたからであらう」

蜀山人の落語集「うぐひす笛」に左の一戯話あり

「火の用心の呪とて、小札に井の字を書て、町内の軒下に張らしけるに、医者の門一軒張らず、大屋腹を立て、お医者だらうが何だらうが、町の法は破られぬといへば医者曰く、よくつもツてもごらうじろ、町内で私ばかり門構じゃが、門構に井の字はちとさしあひで御座る」

これは「開」の字を女陰として、ツビ、ヘキなどゝ訓みしによるなり(開の字を門冠り即ち門構に井とも書きけり)

開の字を女陰とせし外、古くは門構に也又は門構に化の字を書きて同く女陰とし、シナタリクボ、ヒメトと訓せり