地震
南方熊楠先生記述の「桜島爆発の余響」といへる一篇、去る大正二年一月発行の日刊「不二」新聞に続載せり、要は薩州桜島の爆破当時、先生の居住地たる紀州田辺町にも震動を及ぼせりと云へる事、其結尾に左の一節あり
「予の庭に鶺鴒来り、低い桑の樹にとまり食を取り居つた、又シロコといふ小い羽虫が、秋の末のみ群飛する例を破って飛び居つた、それから予の宅に大小五六疋の亀を畜ふ、冬寒のため、古俵を被せた地下に蟄れて居るが震動前一日一疋が出て池に遊び居つたを見たきり、震動中にも後にも、随分曖かいのに亀は一疋も出なんだ、思ふに誰かゞ触り続けに触ると心得て、一生懸命に綰まりゐたらしい、震動の続く間、犬も一向吠えず鼠も静まつて居た、是等何の益もない事の様だが、観る人が観たら学術上の一考とも成る事と思ひ、記して後世に遺し置く
此他震動前から予の陰莖に異様の感覚を生じたが、素人輩には一寸解り難いから爰には詳載を略する、ダウナーといふ英国などに細い棒を指に載せ、眼を覆して歩くと地下に水ある所に至れば、其指が搖ぎて棒が地を指す、其処を掘れば必ず水を得る、因て井戸掘前に傭はれて、吾邦の家相師同様、報酬金を得るを業とする者がある、学者の説区々にて其真因を今に見出し得ぬが、兎に角効験はあると確かに言ふ碩学が多い、是と等しく大小の別こそあれ棒は棒なり、予の如き日常虚心平気で何事も思はずに居る者の陰莖は、地下の動揺に感応するのか、又身体に多少の震動を伝へて自然陰莖に及ぼすのか、今度一回で判り兼るが、一物不知君子耻之、願くば世間博愛救済を志す人士、殊に予の如く平生止観を修する人や、又坐禅を勤むる僧達、今後地震地動あるに際し、聊か心付きたる事あらば、留意報知されん事を望む、追々研究して地震計の代用とも成りなんには、熊楠起りて抃舞して「×が御役にたつたはやい」と憚ぶべし」
節末の一語、学者にあるまじき不真面目の悪謔にて、折角の提議を抹消し去るの憾なしとせず、然れどもこれ先生の性格流露、巳むを得ざる事とせんか
神経の最も過敏なる筋肉が、地震の微動を早く感知するといふ事実は、生理上あり得べしと信ず
地震といへる乾燥無味の未成科学に、斯く猥褻関係の事実あるは奇とすべし