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動物

学説俗説を合せて三項に分つ、一は下等動物と人類との関係、二は下等動物と人類との共通点、三は下等動物の形体が人類の陰部に似たりとの事

(一)未開時代に獣姦の行はれたる事

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未開時代に獣姦の行はれたる事は内外の古典籍に記れ、法律を制定して刑罰を加へし例も各国にありたり、十数年前神戸居留地の外国人が、日本の女乞食に金を与へて、自家の飼犬(牡)と交らしめしとの事実あり、人道問題として一時騒がしかりき、馬と姦し牛と姦し猿と姦せる古画もあり、黴毒患者が犬を犯せば其毒を去るとの俗説行はれ、漁夫は大赤エイの排泄口が女陰に酷似せるを以て之を犯すことありと聞く、「誹風未摘花」に「エイの穴つツ突き御用叱られる」とあるも、これがため丁稚小僧のイタヅラを叱責する事なり、「燕脂筆」に「赤えい一名傾城魚といひ、傾城魚の抱心いかに春の海、といへる俳句あり」と記せり

「新燕石十種」所収、小寺玉晁著「見世物雑志」には「みいれ駒」と題して左の如く記せり

「天保三年七月二十四日より、名古屋大駒山門外に於てみいれ駒と名付け、馬の婦人にかゝるを見する、はじめ女が出れば馬つきて出て来る、尤も無口なり、一二度廻りて、コレお駒さんといへば、馬ヒヽヒンと嘶き、お前し×いかといへば、ヒヽヒンと鳴く、後円(なし)の如く馬か丶り、淫汁をおろす………評曰、婦人袂に何か馬の好く物を入れ居るべしと、一説に………九月二日に御停止に相成る、此馬途中にて婦人にかゝりしと評判あり、いかゞ」

天保八年の大阪版「海川諸魚掌中市鑑」に曰く

「鯨の陰塁、多計重(たけり)といふ、大なるは一丈もあり、小児の夜小便を治す、また腎にして女虚労によし、牝の陰門をぼけりといふ、男子腎虚に大によし」

これに両陰の図を加へあり、膃肭臍の陰部にて製せしたけり丸といへる腎の行はれしこと古書に見ゆ

蛇が好んで女陰に入るとの事は古今の雑書に散見し、医書には最も多く其治療談記され、「田舎医者蛇を出したで名が高し」といへる川柳もあり、又実験談にも往々開ける所なるが、未だ其学理的解説あるを見ず、古印度の仏書に半身蛇の美人国あり、蛇を女性的として「◯(虫偏+也)」字にかくなど、蛇と女陰とは古き因縁談ありしならんか

三国伝来の九尾の狐、葛の葉の狐、八犬伝の伏姫などに就ての卑猥談はあれど、モト非科学的の妄誕怪説、茲に論述すべき限りにあらず

性欲研究学者として世界一の大権威者と目さるゝハロツクエリス氏の著「性的心理学」の一説「羞恥の進化」といへるを、先年予の友人松の里人が摘訳せしものに、羞恥の観念は文明国人の特有にあらず、野蛮国人にも亦存せりとの例を挙げたる中に曰く

「性に関する羞恥の起原は、これを動物間に於ても認め得られる、牝犬は交尾期ならざる時に牡犬が近づけば、蹲ばい尾を下げて之を拒む、此交尾に適せざる事を牡に示す態度は、交尾期に於ても依然習慣として存し、牡の近づくのを拒む態度を現はすものである、然しながら、牡犬がこれに辟易して遠ざかる時は、牝犬は其跡を追ふて牡牡を誘ふのである、鹿も亦同じ事であつて、先づ牡鹿を誘ひ、後疾走して牡鹿をして追はしめる、鳥類に於てもカハセミの其行動が最も顕著である、雌は雄を誘つては逃げ拒み、又誘つては逃げ拒む事を終日繰り返す

羞恥は異性に対して非常なる快感を与へるものである、売春婦はこれを手練手管として用ゐるが、女子は男子の羞恥に対して快感を覚えるものである」

次に、人類間に於ける同性姦、人類と動物との接触(獣姦)に類せしこと、他の下等動物にもありと見え、大正三年発行の「東京獣医新報」に左の記事ありたり、外国雑誌よりの訳出なるべし

「種頻の頽廃したる動物に異種交尾が行はれる、妊娠は来さざるも、之を認むる場合は稀有では無い、殊に犬の婦人を挑むことは屡々で、大形のテールヌーブだのセントベルナーなどは、婦人を擁し高度の熱情を以て迫るさうである、小犬が牝鶏と交尾する事がある、十四五ヶ月の小犬が日々家禽場裡に牝鶏と遊戯し居て、何時しか其口に牝鶏の頭を咬へ巧みに交尾するを目撃した、牛馬相互間の交尾は必ずしも種類の頽廃を意味するに非らず、摂護腺炎に罹れる一牡犬が一種の臭気を放ち居りしが、他の牡犬に姦せらるゝに、牝犬の態度を以て之れに応じたる例があると言ふ、蓋し背理の交接は時としては精神病の為めに、又時としては性的関係の障害に原因するであらう、種牡馬は外観勇壮なるも牝馬の接近に発情せず其周囲に於て鞭を鳴らし若くは鞭索を以て其脚を軽打する時、初めて陰茎を勃起し来るものがある、此例の如きは鞭声感覚を起し感覚想像を書き、想像意志を生ずるな らむと某大家が言つた

去勢術といへるは、陰嚢又は陰茎除去の法なり、近世下等動物に此去勢術を施すこと盛んに行はれつゝあり、支那には古く刑罰の一に宮刑あり、宮廷吏に宦官あり、日本にては自ら行ひし羅切といへる事もありたり、去勢術の起原は泰西にて行はれし此人類断根の生理的結果を見しに因るならんか、大槻盤水は文化十年和蘭陀書の飼馬去勢術を訳して「扇馬訳説」と題せり

予は徃年「恋猫の牝牡と春秋」と題して左の如く記述せり

「忍び逢ふ恋は知らずや猫の声」と云ふが如く、実に騒々しいものである、そして此猫の恋は俳諧の季寄せには春の部にあるが、実際の交尾は春秋二季の二回である、これに就て「和漢三才図会」に

「猫 春は牡が牝を喚び、秋は牝が牡を喚びてツルム」とある、愛猫家に此語の虚実を質せしに、春は牡がワーンワーンと牝を喚ぶこと頻りであるが、牝は此較的静かである、秋の牝猫は牡を追ひ廻して終日終夜帰宅せない事もあるとの証明を得た、「にやんとして牝猫は遅き牡猫かな」といふは、春の季に相応した句であらう

古学者の動物研究も亦至れりであると敬服せねばならぬが、此牝牡の性的相違は何に原因して然るかと云ふに、春は陽気であるが故に陽性たる牡が進み、秋は陰なるが故に陰性たる牝が進むのであらう、人の男女にも亦幾分此傾向がありはせぬかと思ふが如何か」

大正五年発行、一夢楼主人著「動物交尾の話」といふがあり鯨の交尾、犬の交尾、鼠の交尾、馬の交尾、鶏の交尾、猿の交尾、象の交尾等二十三項に分ち、章魚、蛇、蛙、蜻蛉等の項には其交尾の図書を入れ、尚是等諸動物の交尾を人類の交接に比較して共通点を説きし所もあり

夜間動物を除きし諸動物の交尾は昼間に限られ居り、又其交尾期間に限定があれど、家畜の犬及猫が昼夜いづれに於ても交尾し、又鶏の交尾に期間なき、いづれも人類の保護にて人類と共に進化せしものなるべし

(三)下等動物の形体が人類の生殖器に似たりとする説

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下等動物の形体が人類の生殖器に似たりとする説は古今内外に行はる、海産動物のヒドラ、クラゲ、ザンゴは、学名シャシャと呼ばるゝものなるが、其形状が男陰に似たりとて「磯××」又は「乞食の××」との俗称あり

海底又は海岸の岩礁に附着せる軟体動物に石牡丹といへるあり、其形状及び括約筋を有すること女陰に似たりとて、古来「磯ツビ」と称し、或は「海××」と呼ふ所もあり

貝類には特に此事多し、「貽貝(いがい)」の形状は女陰に似たりとて「本草綱目」に東海夫人と名づぐとあり、紀貫之「土佐日記」貽貝鮓の項に「心にもあらぬ脛をあげて見せける」とあるも、是故に云へるなりとぞ、「赤貝」及「蛤」を女陰に擬せし例は一々挙ぐに遑なし

文貝ト称ス、俗ニ子安貝ト呼ブ、婦人ノ難産ニ此貝ヲ握ラセバ忽チ安産スルトノイヒナリ、因テ之ヲ婦人ノ宝貝ト称ス、東南海中ニ産ス、其色紫色白点アリ、又一種黄質纒絲アリ、エカキ貝ト称ス、二貝共ニ女陰ニ似テ其口開カズ(水産図解)

むき身にして商ふを見たり、むいたところ女陰と似たり(俚言集覧)

元禄三年発行の「新撰三六貝倭詞」は「乙女貝」とて女陰に似たる図を描き、左の歌を題せり

けふとてや いそなつむらむ 伊勢島や いちしの浦の あまのをとめ子

下総にては「烏貝」を「たん貝」と称し、「印幡沼の田ン貝」といへる卑猥語あり、尚此外多し、「街談文々要集」には、赤貝の中より小き陽石出でたりとて「端午の日、はからずも陰陽和合の手に入りし事、いと悦ばしけれ」など記せり