コンテンツにスキップ

植物

日本にて「穂吹きイカリ草」と云ひ、支那にて「淫羊カク」と云へる植物につき「古事類苑」の植物部に、やまとり草、いかり草、一名剛前、又百年亡杖草といふ、倭名類聚抄に、漢名を淫羊カクと称する理由は「羊食ニ此カク一一日百遍、故以名レ之、一名剛前」註に剛前とは前陰を剛強にするとの義とあり、「異名分類抄」には「いかり草―うむきな、一云やまどり草、又云まらたけりくさ、和くわな」とあり、朝鮮にては此草を強壮剤に製して販売せりといふ

曲亭馬琴こと瀧沢解の著「玄同放言」の植物部に「草本身体同訓考」といへる漢文の長篇あり、其大意は

草木ありて後、人倫鳥獣生ず、故に草木は土を以て命根とし、人倫鳥獣は草木を以て食となす、此に由て之を観れば、草木動物原同根、古人物に命ずるの妙知るべきなり、目は芽、鼻は花、歯は葉、手は枝、股は扠など、人体諸部の名は皆植物と同訓なり、陰核と云ひ、玉茎と云ふも名を木果草◯に取りたるもの、陰嚢を布久利と云ふは、其形状の相似たる松柏の贅を布久利と云ふに取りたるなり といへるにて、一々古書を引きて考証せるものなり

「通草」又は「◯」と書ける植物を「あけび」と呼ぶは、其実瓜の如くにして熟すれば縦に裂け、其形状恰も女陰のあけるに似たりとて古くは「あけつび」と称せしを、後に略せしなりとの説は「古今要覧稿」を始め「梅園日記」、「松屋筆記」等に明記せり、又此「あけび」を「山女」に或は「山姫」とも書けり

越中国下新川郡に「山女村」といへる村名ありて「あけび村」と呼べり、「開」の字を女陰とする事は「柳亭記」に委し、草冠に開を書きて「あけび」と訓むも女陰に因めるなり

漢名の「肉◯蓉」を「きむら茸」と称する由来は、「一癖随筆」に「日光山のキンマラ茸」と題しし、「日光山志」を引き、植物学大家牧野富太郎先生の説を引きて明解を下せるが如く、金精峠の名称と共に卑猥の名称なり

支那の「五雑俎」には左の如く記せり(漢文

「肉◯蓉ハ西方辺塞上ノ塹中、及ビ大木ノ上ニ、群馬交合の精滴、地に入テ生ズ、皮ハ松ノ鱗ノ如ク、其形柔潤ニシテ肉の如シ、塞上、夫無キノ婦、時ニ地ニ就テ之ヲ淫ス、此物一タビ陰気を得レバ彌ヨ壮盛ヲ加フ、之ヲ採テニ入ルレバ能ク陽道ヲ強クシ、陰ヲ補ヒ精ヲ益ス、或ハ粥ニ作リテ之ヲ喰ヘバ人ヲシテ子アラシムト云フ」

植物学者南方熊楠先生は「情事を好く植物」と題して日刊「不二」新聞に記して曰く

支那で健陽剤とする鎮陽といふ草は学名チノリウム、コクチネウムとて蛇菰科に属し、色赤く狗の陽物に似た物である、其形から思ひ付たらしい珍説を本草綱目に載て鎮陽は野馬や蛟龍が遺精した跡へ生る、形状甚だ男陽に類す、或謂ふ、里の淫婦に就て之に合すれば一たび陰気を得て勃然怒長す、土人掘取て乾してとす、大に陰気を補ひ精血を増すと云て居る、此物は日本に産せぬ、此物の属する蛇菰科の物は三種計り日本に在る、何れも寄生植物で多少男根に似て居る、又支那で強陽益精剤とする肉◯蓉と云ふのも陽物状の物で野馬の精液地に落て生ずる所と云ふ、是は列当科のベリペア、サルサてふ草で西伯利南部や蒙古等より塩漬にして支那へ輸入する、是等の植物は何れも形が陽物に似て居るので、同感法から健陽益精剤と見立られ、又野馬や蛟龍の遺精から生れるの、淫婦に合されて陰気を得ると怒長するのと汚名を受たのである、南欧洲や西亜細亜で古来「マンドラゴラ」と云ふ草を呪術に用ひ、又料とし情事の成就や興奮の妙剤として頗る名高い、非常な激毒あって動もすれば人を狂せしむる、亜剌伯語でヤブロチヤク、之を支那書に押不盧と称して、此草の根が人体の下腹から両脚の状に似て居るので、矢張り陰部の事に妙効有りとせられた

吾邦で婚儀に両岐大根を使ふのも似た事である、レオ、アフリカヌスが十六世紀に書いた亜非利加記第九篇に、アトランテ山の西部にスルナグといふ草有り、其根を食ふて陽を壮んにし歓楽を多くし得る、偶ま之に溺する者あらば其陽忽ち起立す、アトランテ山中に羊を牧ふ童女他の故なくて破膜せる者多きは皆此根に小便し掛けたからである、此輩為めに素女膜を失ふのみならず、全身草毒で肥大するとある、一八九六年版ロバートソン男のカフイル人篇四三三頁に、ヒンヅクシュの山間アガルと云ふ小村に妙な草有り、鉄砲で打ち裂くと其葉が地に落ぬ間に、砲声に驚き飛散る鳩が悉く衝へて去る。曾て一男子此草の葉を得て帰ると、十余人の女子が淫情勃興制す可らず、呻吟し乍ら附いて来る、内へ帰ると母出来り子を見るや否声を放ち、お前は何物を持つて来たのか、妾忽ち何とも気が遠く成て来て耐難い、何であらうと手に持った物を捨てゝ仕舞へと命じたので、投げると大きな樹の股に落ると同時に、樹の股が二つに裂開いた

とある、是れ最も猛勢な媚で婦女を破るの力烈しく、婦女之に近づくと性欲暴発して制すべからず、荐りに破れん事を求むる者らしいが、一向信を置くに足らない

法学博士中田薫先生、著者に本書の材料として支那宗時代の「説郛」中に収めたる「採蘭雑志」の一節を示さる、漢丈

「遜頓国に淫樹アリ、花ハ牡丹ノ如クニシテ香シ、種ニ雌雄アリ、必ズ二種並テ植レバ花ヲ生ス、根ヲ去ルコト尺余、男女ノ陰形アリ以テ雌雄ヲ別ツ、種必ズ相去ル遠カラズ、二形昼ハ開キ夜ハ合フ、故ニ又夜合ヲ以テ名トス、又之ヲ有情樹ト謂フ、若シ各自ニウユレバ則チ花ナキ也、雌実ハ李ノ如クニシテヤ丶大、雄実ハ桃ノ如クニシテ小、男ハ雌実ヲ食ヒ女ハ雄実ヲ食フ、以テ虚損ヲ癒スベシ」

其事の虚実如何は本書著者の問ふ所にあらず、たゞ学書に此事ありと記せば以て可なりとす

天保頃の雑学者、下総の宮負定雄は、時珍の「本草綱目」又は貝原益軒の「倭本草」等を採用して「草木撰種録」といへるを著はし、草木に男女両性ある事を図書に示して、雌性の植物を裸体婦人の臀部に均しとして描けり

農学者として著名なりし津田仙は、明治初年米国にて植物 学を研究し、帰来「草木交媾の法」といへるを宜伝し、米麦に其交媾法を実施すべしと説けり

蝿取草の一種たる「ワケトリモチ」の形状が犬の陰茎に似たりとて其一名を「犬のチンチ」と呼べり

二股大根を女性の代表として大聖観喜天に供ふる例は何人も知る所なり、享保二年版「諸国年中行事」十月二十日の条には、恵比須講に二股太根を供へし絵あり

著者が壮年「滑稽新聞」に記したる一事あり

「植物学者の実験説に拠ると、既に生殖作用を了へた花(菊や百合ばかりで無く総ての花)は、雨に降られても平気で居るが、まだ其生殖作用を了へない花は、少しの雨にも直ぐ首垂れて其生殖器を保護するそうである

これは恰度男に揶揄はれた時、お婆さんは酒蛙々々として居るに反し、未通の娘さんは顔を真ツ赤にしてシナをするのと同一である」

端唄といへる俗謠に「露は尾花と寝たといふ、尾花は露と寝ぬといふ、アレ寝たといふ寝ぬといふ、尾花が穂に出て現はれた」其語婉曲にして雅なりといへども、要するに卑猥の比喩たるを兔れず

大正十二年十一月三日発行の「東京日日新聞」に「抱けば孕む唐松の神木」と題して曰く

「奥羽本線羽後境駅を下りたところに「境の唐松さま」といふ霊験あらたかなお産の神社がある、神功皇后を祀つたのださうだが、安産祈願産後のお礼詣りはいはずもがな、男の子女の子と其好む所を祈願するのだから、神社は毎日の大賑ひで、少し大袈裟にいふなら、秋田県下の婦人で参詣せぬものなしといってもいゝの大繁昌だから、母子健全の御神符、御護符は素より、乳の出る特製、安産の岩田帯まで抜かりもなく整つてゐるが、更に境内には神木「だき杉」と称するものがあり、この杉にだきつけば、男女安産望み次第とあつて、女連が入り代はり立ち代はり真剣にだきつき、また杉の皮をせんじてのむと安産するとて、富山の千金丹よりも一般家庭に大事がられてゐる」

斯かることが真実にありとすれば、植物学者の研究を要すべき怪樹とせざるを得ず、然れども、伊豆の吉奈温泉にも子なき婦人が抱えれば、直ちに姙娠すといへる古き松樹あれど、温浴のために、子宮病が治癒する結果の姙娠にて、松樹に関係なき事と聞けり、右の神木といへるも、これに類する俗伝なるべし