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土俗

一地方の風俗(慣例)を研究する新科学、これを土俗学といふ、其土俗学の資料には猥褻の事例夥多存在せり、女護島の女は、裳を捲くりて南風を受くれば姙娠すといひしが如きは、もと虚誕の伝説に過ぎざれども、実在の事実として古書に見ゆる十中の二三を列挙せん

△信濃国高井郡箕作村より九里余の山中、秋山といへる部落「徃古は五穀もなく只蒟蒻のみ作りて其根を食せし由、今は山々の岨を焼払ひ、粟稗蕎麦大豆等を作り、又杤の実を食ひて食とす、中にも粟を第一の食とす、故にや正月七日には、稗にて男根の形を造り、今年の粟は斯くの如しと家毎に持行きて祝言すと云ヘり」と「信濃奇勝録」にあり

△伊勢国山田の婚礼についての奇習「山田の古風のよしにて、終日聟を朋友の宅にて饗し、深夜に及び笛太鼓にて囃し、聟の顏へ墨を塗り、男茎形の物を持たせ、女の褂を着せ、いづれも上下にて顔を互に墨にて塗り合ひ、かねてこしらへし祭文を父と子と差向かはせて、両方共に読みあげさせる、其文章の狠藉一奇事なり」と「宮川日記」にあり

△「和訓栞」所蔵「粥杖」の条に「正月十五日、粥をたきたる木を削りて杖とし、子持たぬ女房の尻を打てば男子を産むといへり、其事源氏物語狭衣物語枕草子などに見ゆ、昔は諸国にても新婦を迎へて正月には嫁たゝきと称す」とあり此尻たゝきの事に付「古今要覧稿」には「東国にては男根の形に削りて打つともいへり」と見え、「書証録」には「人うつ杖をやがて陽物の形に造り、是を孕み棒という」とあり

△山城「大原の雑魚寝とて、庄屋の内儀、娘、又下女下人に限らず老若の別もなく、神前の拝殿に猥がはしく打臥して一夜は何事をも許す」と天和の「好色一代男」に見え其委曲は「好色貝合」に記せり、又大和十津川にても古き頃ザコネの事行はる「村中の妻子奴僕、自他を撰ばず、旅人等行くからに悉く男女寝所を同くして交会すといへり」と「諸州奇跡談」及び「本朝俗諺志」に見ゆ

△「下総国酒々井の駅なる牛頭天皇の祭礼七月十七日也。此神輿をかつぐ者のはやし言葉に「一丈八尺ア××チを破つた」と同音にいふ、さて神体は石の男根にして弓削道鏡を祭れるよし也」と天保の「さへづり草」にあり

△下総国上埴生郡豊栄村の風俗を記せる条に「正月十九日は嫁見の式と称へて前年縁付たる村内の新婦、睛の衣裳を着飾り、附添女を従へて村社祭主の宅に集り饗応を受く、 席上余興として、村内男女一同の馬鹿囃あり、中より二人男女の陰具に擬したる大根を並居る新婦の前に出し、種々みだらなる踊を行ふ、新婦これを見て笑へば、直ちに離縁となる、これ昔よりの風習なり」と「埋火の友」に見ゆ

△明治四十年頃、外務大臣たりし林薫の随筆「後は昔の記」に、明治初年の旧事を記し「当時は岩崎久彌男の先代が大阪土佐堀に居て、外国公使其外男女の一行を自邸へ招待した、何かの祭日で芸者幇間等の仮装して市街を練り行く一群数十名を庭前に召入れて、舞踏させる趣向であったが、其一群のかけ声を遠方より聞くに、甚だ猥褻であったから予は門外へ出て見るに、男女花やかなる衣裳を纏ひたる頭の上に紙の張子にて作れる大きやかなる彼物を冠りて居るから、予は驚き慌てゝ彼等が邸内に這入る前に皆之を取除けさせた、併し側の人は其理由が分らず怪んで居た様子であった、斯くの如き行装をして斯くの如き掛声をして市街を練歩いて、巡査も咎めず、市人も怪まぬは、今から見れば驚き入た事であった」と見ゆ

△伊勢国員弁郡阿下喜村は、古来の風習にて若者が毎夜村内の娘を強姦すること行はれ、誰咎むる者もなきより強姦村と綽号せりとのこと大正初年頃の新聞紙上に見ゆ

以上の如き土俗談尚多し、同じ土俗の事に属すれども、祭神に関する例は既に別項に記せり

遊廓にて行はれたる売女の禁厭等比も猥褻のこと少からず「酒、酢、醤油、鉄醤、油、水、燈心、此七品を等分に合せて是を煮立て、客の肉具を画て一所た入れ煮るなり、これ性悪の色をまじなふ法なり」と十返倉一九の「志売往来」に見ゆるも其一例なり

露国、満洲、北支那等にて行はるゝ奇習に「結婚初夜のシルシ」といへる事あり、穢血の附着せる白紙又は白布を示して処女たりし証明物となすとのこと、露国帰りの漂流人談に見え、支那にてはシルシの附着せるものを「丹◯(巾に白)」と称すと曾て友人◯舟子より聞けり、「人類学会雑誌」第二百七十六号所載「満洲人の結婚」中には「媒人は新郎新婦を導きて天蓋に出で来り、親戚朋友に紹介すると同時に、懐中よと白紙に紅を塗つたものを出して、新婦の処女であることを証明する」とあるは、虚偽のシルシにして、旧習が儀式化せるなり

台湾土人は交接中の頓死を大往生として祝し、其腹上死は安楽浄土に行くものなりとの神秘的迷信を有せりとのこと阪本原人子記にて月刊「不二」雑誌に載す

森島中良の「万国新話」中に曰く「吾学編、および外国竹枝詞の註に云、男子年二十歳の時、陽物を割て金銀珠玉の類をちりばめ、を以て封じこめ、象嵌に入るとなり、行ふ時は鏗然として声ありとぞ、又三才図会に云、男子幼より陽物を割て八宝を嵌し、以て富貴を衒ふ、然らざれば女をあたへて妻とせしむる家なしとぞ、二説聊か異同あり、中良案するに、南亜墨利加洲中の孛露国の人、珍宝を以て面に嵌すると表裏の談なり」

南洋新南高土人中の女は、小陰唇を引延ばし穴を穿ちて鈴を下ぐとのこと、大正四年の「大阪朝日新聞」にて見たり

此外、蛮界の土人に猥褻奇習あること「人種」の条に記せし外、土俗学に引証せる実例多しといへども茲には略せり