心理
旧式の心理学に於ては心性作用を智力、感情、意思の三に区分」て説けり、斯く戴然と区分さるべきものに非ずして、人の心には常に智情意錯綜の作用多」といへども、要は此三区分として説くを便宜とせり、茲にも亦是に従ふ
羞恥、性欲、快楽、満足等は感情に属」、客観的たる卑陋醜悪、即ち「猥褻」と認むることも亦同く感情に属せり、是等の感情にも智力範囲の知覚、判断、推理が前提と成り、意志範囲の動機、選択、実行、又は排斥等が伴ふものであり、生殖本能といへるは自然的天賦的の智感作用なり、本能たる性欲の発情は、智力の判断推理を圧倒するが故に、「色は思案の外」といへる語も生じて、有意義に慣用され、又性欲の発情を意志の克己にて抑制すること能はず、遂に其情の満足を計り」こと、これを「其場の出来心」と称するなり、此類例も亦枚挙に遑なし
斯かる解説は心理学者が吾人に教ゆる所ならずや
近世の新科学たる「性欲学」といひ、「変態性欲学」といふも生理的心理学者の創説なり、又心理学の分派として
- 社会心理学
- 比較心理学
- 変態心理学
- 風土心理学
- 群衆心理学
- 遊戯心理学
- 犯罪心理学
- 動物心理学
等あり、尚高空心理学、売笑心理学も近き未来に出でんとする傾向見ゆ、是等特殊心理学に於て説く所にも亦性的関係の心理解釈少しとせず、予をして閑あらしめば、是等特殊心理学の各一部分を統合して「猥褻心理学」を組織せん
是等の学書に説く所を一々摘示せんとせば、数百頁に渉る大冊にても尚足らざるべし、こゝには其百中の二三を略記するに止めん
先づ一般的心理学者の説く所を挙ぐ、男性は発動的、女性は受動的なりといひ、男性は排泄的消費的、女性は収容的貯蓄的なりといふこと、これを如何に解すべきか
又抱擁の快感、射精の快感を説くこと密なるは、旧時代の春画好色本にも優る実写ならずや、絶対愛といひ、性的本能といふなど、其語句は美なりとするも、意義「猥褻」に帰着するにあらずや、此外「夫婦の愛は記憶力に基く」とすること、そも何を記憶するにや
近時最も流行せる「性欲学」その説く所は悉く猥褻事象ならずや、之を風俗壊乱と認めざるは、人生の根本たる生殖原理の学説なるが故なり
此性欲学の近況を報ずる一節、厨川白村著「近代の恋愛観」にあり、曰く
「エリス、ヤフオレル以来、学者の性欲に関する研究は著しく進んでゐる、殊に精神分析学一派の学者の研究は、一切の道徳、sの他の精神現象の根本を性的渇望にありと主張するに至つた
人間の道徳生活の根本である愛を、性欲に基くと考へる事は、さまで難事ではない、人間は呱々の声を挙ぐると共に既に性欲を有つてゐるので、赤ん坊が母親の乳房に吸ひ附く時から性欲は発動してゐる、稍長じて夫れが親兄弟に対する愛情に変つて行くのだと、精神分析学者は多くの例証を挙げて説明してゐる」
次に「変態性欲学」の学説に就ていはん、是亦性欲学に優る色欲異常性の解釈、其狂態其残忍の事実は悉く猥褻談論なりと評するの外なし、自遂の手淫論、精神錯乱者の痴態観等もこれに属せり
「父母の眼を偸みて数多の情夫をこしらへる道楽娘、俳優狂ひをする貴婦人、空閨を守ること能はざる後家、享主の顔に泥を塗る女房、春をひさぐ売笑婦、肉を解放する新しい女等、いづれも淫婦と認むべき者」として、其性情を解剖せる淫婦伝、又男性と男性との愛、古くは大名と小性、遊客と若衆、僧侶とカゲマ、近くは兵卒の兵営生活、囚徒の監獄生活、海兵の水上生活、学生の寄宿舎生活等にて行はるゝ同性愛、これと反対の女性と女性との間に行はるゝ愛、ト一ハ一、オメなどいへる同性愛の変態性欲心理を説くことも亦近時流行せり
此性欲学、変態性欲学の流行に乗じて、種々の性欲学的図書現はれ、月刊雑誌も現はれて書肆の棚を賑はせたり、「青年と性欲」とか「色情思想の研究」とか「恋の秘密」とか「女の赤裸々」とかいへる類書の多く刊行されしも、これに伴ふ産物なりき
性欲学は生物学に基く生理学を主とせし心理学にて、生理学的心理学の一部なり、故に性欲学の事は「生理」の条に於ても説き、又生物学、動物学、社会学等の条に於ても論及する所あり
「世の中に絶えて女の無かりせば、男の心ノドケからまし」といへるモジリ狂歌あり、女なかりせば、男の発情は無き筈なれども、女あらずしては男も生産せざるなり、男女両性の存在ありてそこに心理学出づ、其心理学に心ノドケからぬ談説多きこと当然とすべし