衛生
疾病予防の衛生学、其説く所は性欲節制と性交注意との二に渉れること多し
医学博士本郷欣哉子記「生殖衛生」の冐頭に曰く「女子が結婚するに就て第一の要件は初めて月経があつてから、少くとも十二ケ月を経過した後でなければ、結婚してはいけない、第二は身体が適当に発達して、特に骨盤と生殖器とが遣憾なく成熟した後でなければならぬ」云々と、次には酒精が精蟲を狂死せしむる事、婦人のコシケが精蟲を侵害する事、夫婦の別居は懐胎に益ある事、受胎作用の法則等を説いて、家庭に於ける夫婦の注意を促せり
性欲学書、新医学書亦未然予防の衛生を説きて、放縦の遂情と不潔の性交を戒むる所多し
慶応三年の刊本「扶氏長生法」に曰く、「手淫は天理に背くの最大なるものにして、人身に害あること甚だし、長生を欲するの人、決して此卑事を行ふこと勿れ、嘗て一洋医の話を聞くに、一度の房事は六オンスの瀉血に同く、一度の手淫は六度の房事に同じと言ヘり、手淫の人身に害あること推して知るべし」
未だ衛生学の名なかりし時代の古雑書にも、性的衛生の訓戒は散在せり、その専門書たる貝原益軒の「衛生訓」を始め水野沢斉の「養生弁」等にも過淫を戒むること切なり
高井蘭山著「婬事養生解」(文化十二年刊本)総目録
- 一、男女別あって正しく道を以て情を制すべき事
- 一、二柱の神詠、女は男に先だつまじき事
- 一、臀の蔵を虚する戒、腎虚せし者生命を落す事
- 一、婬事四時の戒、一夫婦子を求る旺相日の事
- 一、胎内の男女別るゝ事、並五輪五体の弁
- 一、胎生を堕胎せしむる戒、一男女の婚媾正しかるべき事
- 一、庚申の夜は交会を禁ずる弁、並交会禁忌の日
- 一、孕婦婬事の戒、並胎内十月形を成す弁
- 附図
漢医の説に神道と仏教との説を加へし述作、生理学未開の時代なれば、「腎虚」といへるが如き誤れる生理説あり、又望月の夜は交会すべからずなど、迷妄の愚説もあれど、救済目的の節制を主とせし衛生学書なり
近世は鶏卵牛乳等を性的滋養の良品とすれども、昔時獣肉を穢として食せざりし時代には、獣肉を「薬喰」の名を以て食せり、文化の「酒落文台」に「隠居」の題にて「薬喰むしろ破りの浮名かな」との句あるは、獣肉食を云へるなり